ハイキング企画:「北アルプス 上高地→涸沢カール→涸沢岳」 [ハイキング企画]
2012.10.21 You Tube動画設定時にHTML修正にしくじって、記事を全て消したらしい。 一時は諦めたがGoogle先生のキャッシュを思い出して、HTMLコード吸い出しに成功。 HTMLコードを設定時にHTML修正たものの画像データの取り出し先がGoogle先生のキャッシュ先になっているので画像が表示されない。 ともかく、記事だけでも復元できたのでとりあえずはこれでいいか・・・しこしこと、HTMLコードを修正していけばなんとかなるけどさ。
そう、ただ涸沢カールから穂高連邦が見たかったんだ。
そして、出来たなら穂高連峰のいずれかのピークに立ちたかった。
・・・一昨年の槍ヶ岳アタックはババ平から雪渓に阻まれ失敗に終わり、去年は上高地へは行けなかった。
脚力さえ保てるので有れば、その先もずっとどこまでも歩いて行きたい・・・
2011.10.07 22:30 出発
山岳親父に計画して貰った登山計画書通りでは、明日の6:00に上高地に到着しなければならない。
山岳親父が運転する車に乗り換え、車内はバカ話で盛り上がりつつ夜の16号線を北上し、八王子ICから調布方面へ・・・
ん? 間違った!これでは首都高速に入ってしまう。
気づかずに調布IC近くまで走行していたようだ。
上高地には行かせたくない闇のチカラがドライバーと助手席の目を曇らせたようだ。
危ない危ない。。。
ハイキング企画想定内のアクシデントだ、不問に付すことにした。
途中ドライバー交代をしつつ、上高地を目指す。
2011.10.08 04:00 GPS高度 925m 沢渡(さわんど)駐車場着
沢渡駐車場に到着してしまえば、直ぐにも上高地行きのバスに乗れるものと思っていたが、待っていたのは市営駐車場に入れない車列の群れだった。
帰りのバスで判ったが、沢渡地区で上高地行きのバス亭は五カ所あり、僕らが乗車するバス亭は沢渡駐車場であり、最も上高地から離れた場所だった。
もっと上の駐車場へ空いている場所を探しに行っても良かったのだ。
駐車場前には交通整理をする者もおらず、僕らのように駐車場システムを理解していない者達であふれ始めていた。
それでも、上高地行きのバスはやって来て用意の出来た者達を乗せていく。
5:00を過ぎて少し明るくなり始めたころに、バスチケットの販売所が開き販売機が動作し始めた。
バスチケットは往復で2000円、この値段は5カ所の駐車場で全て共通価格。
市営駐車場には近づくことも出来ない僕らだったが、梓湖畔の湯の前で待っていたら、駐車場に入れてくれた。
駐車料金はおそらくどこでも一回500円/日(に違いない・・・?)。
今回は2泊するのでその分の駐車料金として1500円を払うことになるだろう。
しかし、帰りはこの温泉にご厄介になるだろうから、これは助かる。
どんなお風呂か楽しみだな。 (牛乳は置いてあるんだろうな!)
ザックを出して直ぐ先のバス停で並ぶ。
バス停で並ぶともの凄く寒い・・・ここの気温は4.5℃、上高地はもっと寒いに違いない。
程なくバスはやって来た、荷物は抱えて座る方式らしい。
ザックを前に抱えて座ると、前が全く見えない。
バスに揺られて、Golden Slumbers。 眠気に逆らえない・・・・
2011.10.08 07:05 GPS高度 1405m 上高地ビジターセンター着
もうすぐ何故か富士山頂・・・の夢?だったのに、ザックが太ももに食い込んで痛くて目が覚めた。
ちょうど、大正池に入るところだった。
大正池周辺も人が多くてビックリした。
ビジターセンターには登山計画書の予定より一時間遅れで到着。
ワァオ!! ものすごい人混みだぜ!
まずは、トイレ、トイレっと・・・・
うぉっ、トイレも渋滞だぁ、並ぶ事10分トイレを済ませて、汲み放題の水をハイドレーションとボトル等に汲めるだけ汲んでおく。
この先も水は汲める場所はあるだろうけれど、全て並ばないと水も飲めない可能性がある。
命の水は汲めるところで汲んでおかないと。
2011.10.08 07:21 GPS高度 1405m 上高地ビジターセンター出発
ああ、アミノバイタルをすっかり忘れてきたけれど、まぁいいや。
用意が出来たら、いよいよ山岳親父と出発!
さて、どんな珍道中が待っているのか!
2011.10.08 07:27 GPS高度 1470m かっぱ橋
僕は2年前に初めて山サギとここに着たときは感動したものだ。
あのときの風景から何も変わっていないように思える。
しかし、山岳親父は20数年ぶりに来たらしく、その変貌ぶりにショックを隠しきれないようだ。
でも、いろいろとネットでチェックしていて、あそこにライブ・カメラがあるとか、何時にココに立っていれば写るとか、修学旅行の女子高生並の情報を持っていた。
ふむふむ、山岳親父もかなり楽しそうだな。
かっぱ橋北東方面の眺めだけど、向かって一番高いのが奧穂高岳(3190m)、右の手前が重なっているけど手前が明神岳(2931m)、後ろが前穂高岳(3090m)、左が重なっているけど西穂高岳(2909m)、間ノ岳(2907m)、天狗岩(2909m)、その上にちょこっと頭を出しているのが槍ヶ岳(3180m)というところかな?
俺も二回目だけど、チョー心が踊るぜ! 天気は快晴!
気温は低くて空気がウマイ!
残念ながら紅葉は見えないけれど、緑のトレイルを歩く山岳親父の足取りも軽いね!
2011.10.08 08:08 GPS高度 1512m 明神館
どこを見ても、人、人、人。
こんなにも人がいるなんて、まるで何かの競技会かフェスティバルでも有るんじゃないかと思わせる。
リンゴジュースとブルーベリージュース、ソフトクリームなども売っている。
2011.10.08 08:53 GPS高度 1553m 徳沢園
大勢の人達が朝食を兼ねて休憩をしている。
井上靖先生の小説「氷壁」の舞台となった場所だ。
僕は小説は読んでないが、NHKのドラマ「氷壁」を見て知っていた。
もう一度、奥寺恭平(玉木宏)、八代美那子(鶴田真由)、北沢彰(山本太郎)を見たい。
再放送してくれないだろうか・・・。 DVDあるかな。
僕らは横尾まで進むことにして、ここはスルーすることにした。
帰りには立ち寄って、名物のソフトクリームを食べよう!
前回、山サギと来たときも食べたからなぁ。
2011.10.08 09:04 GPS高度 1572m 新村橋
ゾロゾロと行軍する群衆は、途切れることなく続いている。
みんなどこに行くんだろう、みんな楽しそうだ。
そりゃそうだ、ここで怒っているひとなんか居ないよ。
空はどこまでも青く、山は紅葉に・・・・なってないのは残念だけど。
それにしても、空の青さは驚くほど澄み切っている。
涸沢カールに上がったら、あの空にさらにもっと近づけるに違いない。
2011.10.08 09:38 GPS高度 1614m 横尾山荘
ようやく、上高地エリア最深部横尾谷出会いにある横尾山荘に到着。
少しだけ赤く色づいているモミジを見つけた。
梓川沿いの平坦な森林のトレッキングルートは終わり。
横尾山荘から先は、涸沢カール穂高方面、槍ヶ岳方面、蝶ヶ岳方面と別れることとなる。
前回は槍ヶ岳を目指したが、今回は涸沢カールを目指して行く。
一般登山客が入れるお風呂のある山小屋は、この先の槍沢ロッヂまで。
涸沢カール方面では、一般登山客が入れるお風呂は無いと思われる。
ここも人が多いので、横尾大橋を超えたところで小休止をすることにした。
平坦な道のりは終わったと思ったが、涸沢カール方面は横尾谷の梓川支流をしばらくは登ることになるようだ。
そのため、まだ潺(せせらぎ)を聞きながらの森林コースを歩く事になりそうだ。
山道で有ることに変わりは無く急峻な登りは、この先にあるが高度は徐々に上がるだろう。
2011.10.08 10:16 GPS高度 1661m 屏風岩を望む
しばらくは渓流沿いに歩くが、圧倒的な岩の壁が現れる。
荒々しく削られた岩肌は人の手を容易には寄せ付けない面持ちが有る、屏風岩だ。
フリークライミングやロッククライマーが壁を登っていないか眺めてみたが、今日は居ないようだ。
あの岩肌をロープだけで登っていくのは、とても考えられないが、どこか少しそういったクライミングに憧れが有るのかもしれない。
2011.10.08 10:46 GPS高度 1771m 横尾本谷
正面に奧穂高岳が見えるようになった。
左が屏風岩、右が横尾尾根に囲まれた谷間を進む。
このあたりになってくると、前後を他の登山者で囲まれ、一群となって進むため、大勢のシェルパを雇って進む極地法登山のようだ。
誰かがつまづけば、その後ろは将棋倒しのように倒れるかもしれない。
この先の渋滞が思いやられる。
2011.10.08 10:54 GPS高度 1771m 涸沢本谷橋
非常に揺れる一本橋なのに、大勢で渡るので橋が落ちないか心配した。
この橋を渡った後から勾配が急にきつくなり、岩が露出したトレイルとなるため歩きにくい。
そのためか、ここの河原で大休止をとる人達でごった返している。
僕らも疲れていたが、ここはもう少し踏ん張って歩く事にした。
しかし、こうも並んで歩くと勝手に休憩も出来ないし、いきなり渋滞で止まったりして待たなくてはならないので非常に疲れる。
かといって、強引に前の人々を追い抜くこともなかなか出来ない。
これでは、登山を楽しむことはできないなぁ。
2011.10.08 11:35 GPS高度 1984m
ここまでの距離と増していく勾配とザックの重さが肩に食い込む。
さらに、追い打ちを掛けるように寝不足が疲労を呼び込んでいるようだ。
屏風岩を超えた辺りで、目指す涸沢カールがようやくチラチラと見えてきた。
山岳親父曰く「ここからが遠いんですよ。」
見えるだけに近いように錯覚するが、カールへの道のりは谷間の歪曲した道を通るため、真っ直ぐではない。
見えるのに、歩いても歩いてもたどり着かない感覚は、いらだちを増幅させて体力を奪う。
道ばたにへたり込んで休む人々が増えていく・・・。
だけど、
周囲の山々を眺めると、北アルプスの力強い山々が青空にくっきりと浮かび上がって僕らを出迎えていてくれているようだ。
あと、もう少し、もう少しだけ歩いたら休もう・・・
2011.10.08 12:21 GPS高度 2164m 大休止
どおやら、山岳親父も疲れ果てていたようだ。
無理も無い、徹夜でドライブして来ているんだから。
「眠いです、寝ながら歩いてました。寝てイイですか?」
そうですね、お昼だけど飯より今は少し休みますか。
蟻のような行軍の列から出て、大きな岩の影で二人倒れ込むように、そのまま並んで爆睡。
これがなんというか、気持のいい睡眠だった。
このまま夜まで眠りこけていたら、大変な事になってしまいそうだ。
実際は10分か15分程度の睡眠だったようだけど、気分がすっきりした。
隣の登山道では、あいかわらず蟻の行軍が続いていたけれど。
2011.10.08 12:50 GPS高度 2230m 涸沢カール入り口
しつこい急登を登り切り、ようやくカールの入り口に入ったようだ。
ふー、ようやく着いた・・・のか?
涸沢カールを中心に北西側に涸沢小屋、南東側に涸沢ヒュッテという二つの山小屋があり、中央はシルト・ストーンというよりは、ガレ場のテントサイトとなっている。
その入り口に入っただけであり、山小屋にはさらに急な上り坂をトドメと言わんばかりに登らないといけない。
「神が住まう澤」に入るには試練が必要ということらしい。
僕らは、涸沢ヒュッテ側から入る事に決めた。
マジかよー、まだ登るんかよー(汗
肩に食い込むザックのショルダー・ベルトに異常な重さが、虚脱感と共に襲ってきた。
以下、心の叫び。
もうすぐ、あと少し、もうちょっと登れば着くんだ。。。
もうきっと、そこなんだ、ここを曲がれば見えるんだ。
登り切ったら休めるんだ、冷たい水をタップリ飲めるんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
2011.10.08 12:59 GPS高度 2290m 涸沢ヒュッテ着
見えた、小屋が見えた!
うっひょー、見えたぜー、ついに到着したぜ!
何でか知らないけど、心の中でガッツ・ポーズを決めた・・・・が殆ど歩く死体のようにユラユラと歩くしか力が残っていない。
今、ここからさらに山頂まで登ると言われたら、その場で倒れそうだ。
何はともあれ到着だ。
そして、本日から2日間に渡って住まう場所を求めに行かなくてはならない。
僕らはテント場の住人になるのだから。
ぬぉ!! 誰だ!!!
マーブルチョコレートをばらまいたのは!!
なんだ、テントか・・・・えっ!!テント!
この膨大な数の色とりどりはテントなのかッ!
ヒィィィ! こんな膨大な数のテントは見たことが無いぞ。
(その後の情報によれば、最終的にはテント1000張を張るかに超えたとの情報が・・・)
急がなくては、テントを張る場所がなくなってしまう。
テントを張る場所が無くなる、この広さを全て埋め尽くすには、3000張のテントでも恐らく張れるとは思う。
しかし、ご覧の通り、壁に近づけば傾いた場所にテントを張るしかなく、また、巨岩の有る場所にはテントは張りにくい。
テントを張るのに適した場所が無くなってしまうという意味となる。
オートキャンプ場の芝生で括られたテント・サイトとは全く異なるのだ。
このゴツゴツとしたシルト・ストーンで埋め尽くされた場所に、最初から平らな場所は存在しない。
この涸沢で最もベストなテントサイトとは、以下の条件となるようだ。
・山小屋になるべく近いこと。
トイレ、飲み水、食料調達は山小屋の設備を頼らざるを得ない。
・メインストリートに近いこと。
山小屋に行くには、メインストリートを歩くしかない。 夜トイレに行って戻ってきた時自分のテントが判らなくなってしまう、道に近いのがベストである。(ただし、騒々しいのも確かだ)
・平坦で有ること。
山裾に近ければ近いほど斜めに寝るハメになってしまう。 人間が快眠を得るためには重力に対して水平に近いほうが良い。 斜めに寝たい人も中にはいるかもしれないが。
とは言っても、大きなシルト・ストーンがゴロゴロしているこの場所で完全な平坦を求めても得られないだろう。
テントを張る前には、大きな石をどけて、平らな石を探して敷き詰めていく作業が必要となる。
つまり、ベストなテントサイトとはッ!
前回誰かが入って苦労して作ったテント・サイト。 それを引き払った後を探してテントを構築してしまうことが最も労力が少なくて、確実なのだッ!
しかしー、もうこの状態では、そんな美味しいテント・サイトは残っていないので、メインストリートから随分と離れた場所で自分たちの力で、石をどけて平にならしてテントを張れそうな場所を見つけて張るしか無いな・・・・
かなり離れた場所には、雪渓がある。
雪なら掘って平にしてしまえば、ベストなテントサイトに?
それだけは絶対にやめるべきだ。
雪の上には、山からの落石が多数残っている、頂上から転がってきた落石に直撃されたらひとたまりも無い。
吹き下ろして来る風と、雪渓の底冷えから、かなりの寒さを我慢しなければならないだろう。
そして、山小屋から最も遠いこの場所は・・・・隠れて用を足す不届き者の巣窟と思われる・・・?
小屋の蛇口から出る水は、ここの雪渓の伏流水と聞いたが・・・・
メイン・ストリートから離れた場所にテントサイトを決定して、石をどけてなるべくフラットにならす。
テントを設営し、昼食を簡単に済ませる。
僕は春雨に厚切りソーセージをぶち込んだもの、山岳親父はフォーだったかな。
雪渓に赴いて眺めてみたり、涸沢ヒュッテを覗きに行ったりして、ゆったりとして時間を過ごす。
涸沢カールの日没は早い。
14:30には穂高連峰の影に隠れてしまうので、直射日光はここまで。
それでも、17:00過ぎになるまでは空は青く、まだ明るい。
2011.10.08 17:46 GPS高度 2290m 涸沢カール
涸沢カールに夜を知らせる月が、北尾根の向こうからやって来た。
夕飯は済ませていた。
自作アルコール・ストーブで、ご飯をトランギア「メスティン」で炊く。
そして米は普通米を自宅で小分けして、これに入れてきた。
ユニフレーム「不思議なめし袋」、これで炊くとご飯炊きはまず失敗しないという優れもの。
既に自宅でも、芯の残らないご飯を炊けているので、実証ずみ。
さて、アルコール・ストーブでご飯を炊くぞー。
しかし、寒い高地ではアルコールの自然蒸散があまり行われないのか、なかなか着火せず。
高地なので少し時間を延ばして、25分炊いて15分蒸らす作戦。
だが、気を抜いたところでアルコール切れで燃焼がストップ。
仕方ないので、その後はガス・ストーブで引き継いだ。
炊けるには炊けたが、25分間もの間燃焼させ続けるには、アルコールの継ぎ足しが何度も必要なようだ、少し方法を考えよう。
夕飯は、ちょいがけカレーとご飯、茹でたオクラとアスパラガス。
山岳親父は、パスタだったかな。
この時間になると、テント内で明かりを灯す人々が多くなり始める。
テント村には人の知恵が作り出した、文明の花が咲く。
涸沢ヒュッテまで行って写真を撮ってみよう。
向こうの山裾にひときわ明るいのは、涸沢小屋の明かり。
テント村の1000張のテントと、人々のヘッデンの明かりが織りなすテント村の明かりは綺麗だ。
しばし、ボーっと眺める。
涸沢カールに突如出現した、かりそめの町の明かりだ。
今夜は早々に寝て疲れを取ろう、明日はいよいよ穂高へのアタックが待っている。
夜空に天の川が見えないかと期待したが、煌々と輝く月光が明るすぎて見ることは出来なかった。
疲れていた僕たちは、山岳親父が持ってきたワインを飲んで、20:00前には寝袋に入ってしまう。
暖かい寝袋に包まれるとストーンと落ちるように眠ってしまう。
お休みなさい。
巨岩の落石が迫ってきていても、逃れることはきっと出来ないだろう。
2011.10.09 04:32 GPS高度 2290m 涸沢カール
トイレに行きたくなって目が覚めた。
テント内は結露していてテント内側に氷が張り付いていた。
山岳親父は一足先に、トイレに行ったらしい、この時間で既にトイレ渋滞が発生しているという。
トイレへフラフラと歩き出す、メイン・ストリートまで出ると、こんなに朝早いのに昨日の18:00くらいと同じように大勢の人が行き来している。
水を汲みに行く者、歯を磨く者、料理をしている者、ザックを背負って登りに行く者。
その他は殆どがトイレに行く者だろう。
トイレには長い行列が出来ていた。
山肌を見ると、ザイテングラートには複数のヘッデンの明かりが見える。
日の出を見るために夜中に出発した人達の明かりだろう。
もうじき、太陽が昇ってくるだろう。
朝飯は、暖かいものが食べたかったのでラーメンにソーセージと乾燥ワケギを入れて食べる。
山岳親父は、またしてもフォー?だっけか。
太陽が穂高連峰を照らし始めた。
さて、荷物を置いていけるだけ置いて、軽い身なりで登り始めようか。
最初に目指す場所は、矢印の穂高岳山荘だ。
広角27mm
50mm
望遠250mm
穂高岳山荘へのコース「ザイテングラート」、 コース・タイムは2時間30分、距離は短いが急登直登の岩場鎖場ではすれ違い不可の場もあるとか。
2011.08.07には、ここで落石が発生して2人が亡くなっている・・・。
自然を相手にしている以上、何がいつ起こるかは判らない。
2011.10.09 06:45 GPS高度 2290m 出発
北尾根から太陽光が差し込んで幻想的な光景を見せる。
既に大勢が登っているため、恐らく渋滞にはまるだろう。
山荘まで何時間かかるやら。
石畳の緩やかな道を登るうちは、まだまだ余裕。
涸沢テント村が随分と小さく見えるようになった。
2011.10.09 07:24 GPS高度 2578m ザイテングラート取り付き
ザイテングラート取り付きの岩が見えてきた。
ここまでの道のりも楽というわけでは無いが・・・振り返るとなかなか。
斜面をトラバースしているようにも見える。
このあたりで大規模な落石を喰らったら、逃げ場は無いだろう。
上はこんな感じだから、転がってきた岩は止まることは無く、勢いを付けて登山者に向かってくるんだろうな。
いよいよ、ここからがザイテングラートの本番らしい。
直登、急坂の岩場だけに、この人数で登れば渋滞は避けられそうに無い。
涸沢カールにはまだ日が当たっていない。
遠く上高地には霞が入っているようだ、冷気がたまっているのかもしれない。
そういえば、日が当たっているためここは随分と暖かい。
2011.10.09 07:47 GPS高度 2747m ザイテングラート
名物?の登山渋滞は激しさを増してきた。
そして、いよいよ・・・
鎖場で、登る側と降りる側ですれ違いが出来なくなって、デッドロックとなり停止してしまう。
こうなると先頭の登りと下りの集団同士で「下ろさせろ!」、「登りは随分待ってるんだぞ!」の罵声とも言える話し合いが始まる。
方法はその都度話し合いで決まるので、後ろはずっと停滞。
仕方ないから、その場で座って成り行きを見守るのみ。
なんでこうなるかというと、この鎖場は岩場の崖の上と下で、互いに姿を見ることが出来ない。
そのため、大声で話さないと会話が成立しない。
一人が登ったり、下たったりするスピードは、人によって様々。
それで無くとも、もし脚を踏み外したらそのまま転落して生命の危機に関わる場所なのだ。
下りが強引に数名下ってくると「話が違うじゃないか、次は登りだろ!」となる。
しばし待って降りてこないからといって、登り始めようとするとおばあさんがゆっくりと姿を現したり。
何か良い解決策が有れば良いのだろうが、この時期の連休の人出のためだけに「何か」を設置するのも馬鹿馬鹿しいことだ。
ここは譲り合いとモラルでなんとか個々に解決して欲しいものだ。
僕らの前後の方々は見識のある人達だったため、互いに譲り合い10名交代で登りと下りを実施することで合意。
随分待たされたが、なんとかすんなりと通して貰えた。
このルールが、その後何人まで適用されたかは不明だ。
2011.10.09 08:48 GPS高度 2978m ザイテングラート
ザイテングラートの急登はきつかった。
へろへろになりながらも、なんとか穂高山荘が見えるところまで登って来た。
穂高山荘の左に見える岩が「奧穂高岳 3190m」への入り口だ。
まずは、休憩が・・・必要・・・だ。
2011.10.09 08:51 GPS高度 2978m 穂高岳山荘着
あれだけ待たされたにもかかわらず、出発してから2時間6分という好タイムだったのは、天候が良かったからだろう。
目指す、「奧穂高岳」は小屋をバックにそびえ立っている。
しかし、ここから見えるとんがったピークが頂上ではない、頂上はさらにその先にあるのだ。
既に登りの群れが取り付いている、渋滞も発生しているかもしれない・・・。
トイレとしばしの休息、携帯食によるカロリー補給を行って、いざ奧穂高岳へ。
2011.10.09 09:11 GPS高度 2983m 穂高岳登山口
登山口に登って5mも標高を稼がないうちに渋滞に捕まった。
そして、山荘近辺は全く雪も氷も無いのに、奧穂高岳登山口の岩場は雪と氷がビッシリと着いていることに気がついた。
さらには、登山道が日陰であり、日陰側には微風ながら風が吹いてる。
太陽光が当たるザイテングラートを歩いて来て気がつかなかったが、ここは3000mを超えようという山脈なのだ。
ちょっと日陰に入っただけで、寒気を感じた。
山岳親父や周囲の人々はそれぞれ防寒装備を出して着始めている。
あっ!! なんということだ、防寒装備一式は全てテントに置いてきてしまったのだ。
ずっと天候が良いだろうという思い込みによって、初歩的なミスを犯してしまった。
富士山だって、晴れていても必ず持って上がって経験していたのに!
着ているのは半袖シャツの上に長袖シャツ一枚のみ。
それでも、常に登っていられるならなんとか登れると思ったが、渋滞が続くようでは寒さに対抗出来ない。
山岳親父によれば、この先も登りはずっーと日陰側になりそうだとのこと。
風も気になる。 少しでも強く吹き始めたら、体温を維持できない。
何度考えてもこの状況での奧穂高岳への登頂は、無理と判断した。
「すみません、防寒着を持ってきていないので登れそうに有りません。」
「じゃあ、あっちに登りますか?」
あっち?
「あっちなら常にひなた側で登れますし、渋滞もなさそうだし。」
奧穂高山荘の北側にある「涸沢岳 3103m」だ。
「すみません、向こうに登ります。」
自分のミスで非常に残念で、山岳親父にも申し訳ないことをしましたが、目的地を「涸沢岳」に変更することにして、奧穂高岳の登山口をきびすを返して引き返した。
このまま登ってしまったら、引き返すことも容易ではなくなってしまう。
山岳親父様、ホントに申し訳ありませんでした。
つきあって登ってくれる山岳親父様に感謝感激です。
2011.10.09 09:12 GPS高度 2983m 涸沢岳登山口
涸沢岳の登山口へは、1分も掛からずに到着。
見上げると、登山者はいるものの渋滞は発していない。
穂高連峰最高峰の奧穂高岳のブランドに比べると、涸沢岳は知名度が低いからなのだろう。
しかし、今の僕に取っては、ここまできたら「穂高連峰のどこかのピークには立ちたい」という思いで一杯だ。
涸沢岳への登りは、急峻な登りはないものの岩のガレ場を登るため、うっかり石を落としたり、滑って自身が転がったりする危険は十分にある。
気を引き締めて登らねば。
振り返ると、奧穂高岳が間近からよく見える。
2011.10.09 09:38 GPS高度 3104m 涸沢岳登山口
涸沢岳 公称標高3110mに到着。
OREGON450TCが示すGPSの標高は、ピークにしばらく居たけれど3104mが最高だった。
この山は、山荘側からの登りはなだらかだが、ピークの反対側は切り立った崖になっている。
ちょっと覗いただけで、ビビる高さだ。
帰り道を模索したが、このまま北穂高へ抜けて涸沢に降りるルートでも寒く渋滞の可能性もあるとのことなので、このまま穂高岳山荘に戻るピストンルートにすることにした。
もっと山々を巡って歩ければよかったのに申し訳ない。
実をいうと北穂高へのルートも距離と時間と難コースのため、現在の残体力を考えるとあまり自信が無かったのも事実だ。
もっと体力を向上させないと、縦走とかもキビシイなと思っている。
しばらくは涸沢岳からの眺めを堪能して降りることにした。
蝶ヶ岳、蝶槍方面
奧穂高岳頂上
北穂高岳、奧には槍ヶ岳が見える、いつかこの手でこの足で。
ジャンダルム、結構人がいるようだ。
突然2機のヘリコプターが並んで飛んできた。
岐阜県警 防災ヘリ 「若鮎Ⅲ」 (ベル 412EP : JA6724)
岐阜県警 「らいちょうⅡ」 (ベル412EP : JA110G)
遭難者を捜しているようには見えない。
奧穂高岳あたりでホバリングを繰り返したりしているところを見ると、登山者が多いところでのパトロールをしているのだろうか。
若鮎Ⅱは2009年の救出作業中に墜落している、命がけの仕事だ。
さて、風も少し強くなってきた、ジットしていると寒い。
そろそろ、降りましょうか。
残念だけど、防寒着を忘れた自分が悪い、後ろ髪を引かれつつ涸沢岳を降りる事にした。
降りる途中で、誰かが作った小さな雪だるまを見つけた。
そうだね、冬はもうここに来ていたんだ。
また来るよ、必ず。
2011.10.09 10:20 GPS高度 3022m 涸沢岳下山中
大胆且つ豪快なテントを発見。
この山岳地帯でテントを張る際に最も贅沢なことは、フラットで凸凹していない場所を見つけることだ。
・・・た、確かにテントを張るには最もベストな条件を備えた場所かもしれないが。
ペグも打てないような場所・・・、と言うよりもモラルがなってないな。
そこに張っちゃあ、駄目だろう。
ヘリポートの下にもテントサイトはあり、涸沢カールよりは十分にフラットなようだ。
次は、この穂高岳山荘までテントを運んでテント泊をしてみたいものだ。
相当へろへろになるだろうが、ザックの中身を厳選して挑戦してみたい。
涸沢岳から下りてきたところ、奧穂高山荘前の人出はさらに増えていた。
2011.10.09 10:45 GPS高度 2987m ザイテングラートから下山開始
さらば、穂高連邦の峰々よ。
三角点を仰ぎ見つつ、涸沢カールのテントに戻ろう。
ザイテングラート下りのコース・タイムは90分。
ザクザク降りるが、先ほどの渋滞箇所でまたしても停滞。
下りの先頭の人は、崖の上から大声でこちらの人数を伝える。
登りの先頭からは、「こっちも随分待たされてんだよ!」
ここだけはしょうがないな、ともかく下の人数の方が随分詰まっているようだから、登らせてやりましょう。
ここをパスすると、後はとにかく下ることに専念するだけ。
岩場を走るように下っていく。
どうやら、ここで足の指をやってしまったようだ、多少痛くてももうあまり気にしないようになっていた。
少しだけナナカマドが紅葉していたが、色のりが良くなく、くすんだ赤茶色のようになってしまっている。
このまま枯れてしまいそうだ。
2011.10.09 12:00 GPS高度 2290m 涸沢カール着
涸沢カールのテント村は何ら変わりなく、人が多い。
穂高の山々を眺めに来た人達も多く、ここでゆったりとした時間を過ごしているのだろう。
涸沢岳から下りてきたとはいえ、まだお昼なんだよね。
しかし、疲れ切っていたため食事よりもまずはRESTが必要だ。
夜までは自由にしていいんだ。
まったりとした時間が流れるなか、痛めた足をマッサージしつつカロリー補給食を食べる。
突然ヘリコプターが涸沢カールを低空で飛来した。
涸沢カールを一回りしたあと、涸沢ヒュッテのヘリポートに近づいていく。
頂上でみたヘリとは尾翼の形状が違う、これは長野県警「やまびこ」(ユーロコプター AS365N3)だ。
タッチダウンと共に、何人かが乗り込んだと同時に飛び去っていった。
どうやら、自力で下山出来なくなった怪我人の収容が任務だったようだ。
何人かは担がれてヘリに乗り込んで行ったからだ。
ユーロコプターは、スマートなベル型と違って重厚な外形だなぁ、尾翼のローターが特徴的。
折角だから涸沢小屋を覗きに行きませんか?
おっいいですねぇ、しかしあそこは山裾だから少し登らないとならないですね。
メイン・ストリートに出て、涸沢小屋の調査をしにいく。
ちなみに、ここ、涸沢カールのテントサイトの管理は涸沢小屋と涸沢ヒュッテ、そして中信森林管理署(中部森林管理局:富山、長野、岐阜、愛知の国有林を管理する国<林野庁>の機関)が行っている。
テントサイト代金はワンサイト1日500円、僕らは2泊3日で1500円を支払った。
しかし、国も、山小屋も、お金は徴収するが、直接特に見返りに何かをしてくれるわけでは無い。
その代わり、山小屋のトイレを整備したり(トイレ利用は寄付金をお願いされるが)、雪渓の伏流水を濾過する設備を作って一般ハイカーに提供してくれたりしているわけだ。
他にも、登山道の整備などにも当てられている。
しかし、1000張りのテントが張られていると仮定すると、この3連休だけで150万円ものお金が何もせずに落ちるワケだ。
小屋と国の配分は不明だけど、一体年間幾らくらいの収支になっているのか、利用者としては知りたいところではある。
まぁ、しかし、こんなに毎日混んでいるはずは無いけれど、この連休はかなりの売り上げを記録したんじゃないかと勘ぐってみたりした。
2011.10.09 13:57 GPS高度 2343m 涸沢小屋
涸沢小屋までは、標高差約50mの石畳のメイン・ストリートを上らないとならない。
たった50mなのに、ヒイヒイいいながら登る。
さっきまで3100mの頂上に居たというのにね。
涸沢小屋の印象は涸沢ヒュッテから比べるとこぢんまりした印象。
ヒュッテも小屋も中には入ったことが無いので、客室の数は判らなかったが。
涸沢小屋のトイレ数は大が3つ、小が2つだったかな?
涸沢ヒュッテに比べると随分と数が少ない。
漏れそうになったら、ヒュッテの長蛇の列と小屋の列とどっちに並ぶのが賢い選択だろうか・・・
こちらから涸沢カールと涸沢ヒュッテの眺望もスバラシイ。
北尾根のドッシリとした山容が背景となって、カールに点在するテントが花のように咲いている感じだ。
僕らのテントはどこに有るでしょうか?(判ったらすごいけど、この絵では無理だな。)
これで紅葉がくっきりと山肌を埋め尽くして居てくれたら、言うことが無いのだが。。。
夜のテントサイトの夜景も綺麗だろうなぁ。
しかし、明日は早朝に出立の予定にしたため、夜景はパス。
連休最終日、この人数が一気に下り始めたら帰りの渋滞はむごいことになりそうなので、早朝、暗いうちにテントを畳んで出発するのだ。
2011.10.09 16:07 GPS高度 2290m 涸沢カール
そろそろ暗くなる、流石にお腹が減ってきたので夕飯を作ろう。
自作アルコール・ストーブを利用して、メスティンではなくポットでお米を炊くことにした。
残りの燃料アルコールを全て投入してでも25分間の燃焼をさせて、立派にお米を炊くのだ。
しかし、アルコールの自然蒸散が気温と高度でうまく行かないため、着火しにくい。
そこで、アルコール・ストーブごとガス・ストーブで暖めて、アルコールを沸騰させてしまおう!
※よい子はアルコールを沸騰させてはいけないよ。
ガス・ストーブで暖めたアルコールがわずかに沸騰したところで、ライターで着火!
(爆発しなくて良かった。)
着火に成功したら、ガス・ストーブを消火。
あとはアルコールが燃焼し尽くす前に、アルコールのつぎ足しを20cc単位で注射器でスキマから補充を繰り返すのだ。
涸沢カールで注射器を使ってアルコールを何度もつぎ足す光景はシュールだ。
山岳親父も閉口している。
しかし、残り全ての燃料を使って25分間の炊飯は成功!
15分間の蒸らしを経て、アルコール・ストーブ炊爨は完了。
涸沢最後の夕飯は、出来上がったご飯を使った参鶏湯(サムゲタン)おじやだ。
フリーズ・ドライの参鶏湯スープをお湯で戻し、ご飯を投入しソーセージ・ブロックを適当に切って落として、乾燥ワケギを散らしてコショウで味を調えて煮込んで完了。
付け合わせにキュウリ二本の丸かじりをショウガ味噌で頂きます。
うーん、参鶏湯の深い味わいのおじやはシンプルでウマイ。
山岳親父の今夜のメニューはクリーム・パスタ? さすが凝ったメニューですねぇ。
石で組んだ特製の風よけがgoodです。
アルコール・ストーブも風よけを作るべきだった。
涸沢カールに最後の夜がやってくる。
この目にしっかりと焼き付けておきたい光景が沢山あったなぁ。
さぁ、明日は、4:30には下山開始の予定だ、早々に寝よう。
と、テントにはいったものの、山岳親父と話し込んでしまった。
2011.10.10 03:00 GPS高度 2290m 涸沢カール
テントに吹き付ける強い風で目が覚めた、まだ真っ暗だ。
話ながら寝てしまったらしい。
山岳親父も起きていたが、この強風ではテント撤収が容易じゃないね、少し様子を見ようとなった。
20分まって少し弱まったところで、テントを出てトイレにGO。
風は強かったが、気温は暖かい。
この高地で、こんなにも暖かいとは思わなかった。
この時間だと人の数は少ないものの、トイレには10人程度の列が出来ていた。
テントに戻って撤収作業を開始。
黙々とシュラフを片付け、ザックに詰める作業を行う。
テントを畳んで、周りのゴミ忘れ物をチェックして完了。
二日間の仮住まいは撤収され、テント設営許可証を返却して涸沢ヒュッテへ。
さらば涸沢カール、テント村よありがとう。
2011.10.10 04:30 GPS高度 2303m 涸沢ヒュッテ
トイレ渋滞は本格的に長くなっていた。
人々がトイレに並んでいる横を抜けて、ザックを背負って徳沢への道を下りる。
今降りれば、渋滞とは無縁だ。
自分たちのペースで降りる事が出来るだろう。
ただし、真っ暗な登山道を降りるので足を踏み外さないように気をつけて降りないと。
あとは、黙々と歩くだけだ。
2011.10.10 05:40 GPS高度 1790m 涸沢本谷橋
空は少し明るくなってきた。
歩き続けて約1時間。
僕らのように、早く降りて渋滞を回避しようとした人達は他にも居た。
橋の袂で少し休憩だ。
もうヘッデンは必要ないな。
この時間になると、登りですれ違う人達が多くなってきた。
連休を避けて、涸沢に入ろうという人達も大勢居るんだな。
2011.10.10 06:40 GPS高度 1617m 横尾大橋
森林地帯が随分と長いなぁと感じたが、ようやく上高地の最深部「横尾」にたどり着いた。
横尾大橋を渡った先には横尾キャンプ場があるが、気温が低い。
張っているテントには霜が降りて白くなっている。
涸沢カールはあんなにも暖かかったのに、下に降りた方が寒いなんて!
トイレ休憩後出発。
ホラ貝を高らかに鳴らす人が居る。
朝食は、「徳沢園」で取ることにして、先を急ぐことにした。
途中、数頭のサルと遭遇、ハイカーを恐れずに登山道を横尾方面へ走りサル。
エサなどを与えてはならないし、目を合わせてもいけないらしい。
2011.10.10 07:49 GPS高度 1617m 徳沢園
徳沢園に到着、沢山の人達が休んでいる。
お腹が減ったので、テント・サイトでテント撤収作業をしている人達の旁らに座り込んで、朝食を作り始める。
僕はチキンラーメン、山岳親父はなんだった?
名物のソフトクリームを食べようかと思ったが、お腹が満たされたのでやめた。
休憩後出発。
2011.10.10 09:07 GPS高度 1527m 明神館
明神館に到着。
トイレ休憩後、明神館でブルーベリージュース(400円)を購入(しまった、写真を撮るのを忘れた)。
2011.10.10 09:53 GPS高度 1527m カッパ橋
かっぱ橋が見えてきた。
出発時と何ら変わらない人の多さだ。
2011.10.10 10:10 GPS高度 1506m 上高地ビジターセンター
ついに、終着点に到達した。
山岳親父と固い握手をして、今回のハイキング・メニューは全てが無事に終わったことを確認し合った。
お疲れ様でした。
お土産を物色して、上高地ベーコン・ブロックを購入。
分厚く切ってカリカリに焼き上げて、サニーサイド・エッグと合わせたら美味しいに違いない。
もう一度、ここの水を全てのボトルに汲んでおいて、家に帰ってからコーヒーを煎れるんだ。
ほどなく、沢渡駐車場行きのバスがやって来た。
バスは混んでいたが、座ってしまえばホッとする。
さらば上高地、ここはもうすぐ真っ白になるだろう。
2011.10.10 11:30 GPS高度 925m 梓湖畔の湯
梓湖畔の湯駐車場に到着。
重いザックを車に放り込んで、荷物から開放。
二日間の垢を落としに、梓湖畔の湯へ入浴料は700円。
広くは無いが、内風呂と露天風呂があり、ここから沢渡大橋の下を流れる梓川渓谷がバッチリ見えるため、眺めは最高。
お湯も単純温泉掛け流しで、クリアな湯で気持ちいい!!
しばらく湯から離れられない・・・。
そして、この温泉にもちゃんと牛乳は備わっていたのだ!
「飛騨牛乳」、冷やされた牛乳を一気に飲み干す。
プハー、最高の気分だぜ! 5本一気飲みしておく。
食事のメニューは置いてあるが、国道158号を挟んだ向かいまでいかないと食べられないそうだ。
今回は、山岳親父がどうしても「ショウガ焼き定食」が喰いたいということで、移動することにした。
2011.10.10 12:45 標高875m 道の駅「風穴の里」
ここなら、食事も出来るだろうというこで立ち寄り。
ありました、信州豚を使った「豚生姜焼き定食」、880円也。
あまりにも旨そうだったので、僕も同じメニューを選択。
いやー、肉最高!山では味わい得ない濃い味でしたねー。
この後、長野自動車道に乗る前にリンゴ農家の直売所でリンゴとリンゴ・ジュースをお土産に購入して、帰宅後の準備は万端。
長野自動車道から中央自動車道へ入り、一気に八王子に向かう。
しかし、大月IC辺りから渋滞にはまり始め、仕方なく上野原ICで降りて、国道を使って帰宅。
帰宅したのは20:00を過ぎていた。
山岳親父、お疲れ様でした楽しい旅でしたね、また行きましょう。
穂高連峰の山々もとても美しかった、とても良い経験をさせて頂きました。
全てに感謝です、ありがとう。
おしまい。
※しばし、修正と追加、そして動画編集に入ります。
2012.09.24 動画を追加して完成。 いやー長かったというか、サボってました。(^_^)
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